興味深い記事がありましたので読んでみて下さい!
[ボールを拾わないチーム]
チームが大きくなるほど、人はボールを拾わなくなる。
拾わないほうが楽だから。
ここで言う「ボール」とは、誰の担当とも決まっていないが、放置されれば遅れてコスト、いわゆる時間や人手が必要になるものたち。
初期のチームでは、こうしたボールは自然に拾われる。
理由は単純
拾わなければ、確実に自分に、チームに返ってくることが見えているから。
けれども人数が増えるにつれて、この前提は崩れる。
役割が分かれ、評価が分かれ、意思決定の距離が遠くなる。
拡大とは、違和感が「誰かのもの」ではなく、「どこにも属さないもの」になっていく過程でもある。その結果、拾わない選択のリスクは下がり、拾う選択のコストが上がる。
結果として、次の三つが同時に起き始める。
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一つ目に、人数が増えると、誰かが代わりに動く可能性が生まれる。
自分が拾わなくても、致命的な事態にはならないかもしれない。
そう思えた瞬間、ボールは床に残る。
拾わない選択が、危険ではなくなり、拾う行為は「特別な行い」になり始める。
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二つ目に、人数が増えると、見られるのは「自分の担当(仕事)をどれだけ綺麗に片付けたか」になっていく。
このとき、ボールを拾う行為は、こう受け取られやすい。
余計なことをしている、決まっていない領域に踏み込んでいる、と。
結果として、拾うほど面倒くさいことに巻き込まれ、拾わないほうが無難になる。
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三つ目に、人数が増えるほど、人は自分の感覚に疑いを持ち始める。
「自分が気になっている点は、本当に問題なのだろうか、自分の知らない前提や判断が、すでにあるのではないか、と。
前提と決定の経路は、拡大とともに見えにくくなる。
自分の担当外の事情。
それらが分からない状態で声を上げることは、リスクになる。
だから人は考える。
触らないほうが安全だと。
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ボールを拾わないチームは、どう崩れていくのか。
実は最初は失敗は起こらず、小さな成功が続いていく。
拾われなかったボールがあっても、短期的には製品やサービスは出来上がり、成果は上がる。「拾わなくても、回った」という経験が、チームに刻まれていく。
やがて現れるのは、説明できない重さ。
同じ議論が何度も繰り返される。
小さな見落としが、後々に大きな損失になる。
どうして誰も手掛けていないんだと苦言が飛ぶ。
そして「なんとなく、最近重い」その感覚だけが残り、誰かがこう言い出す。
「最近、誰も主体性ないよね」と。
これは原因と結果が逆。
主体性が失われたのではなく、主体性を発揮すると損をする環境が、できただけという現実。
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もう一つ、中長期的にチームは崩れていく。
その背後にあるのは、こうした環境下でも責任感や善意から、偏って拾い続けていた人の疲弊が顕在化するから。
抱え、説明し、調整し、そして燃える。
その広い続けた人が疲れた瞬間、チームの静かな安全装置が外れる。
誰も拾わない状態に、一気に落ちていく。
どこにでも起こりうる現象ですね。
意見を言わない、臭いものに蓋をするなど、拾わないズルい大人にはなるな!