今日のメニュー
倒立
リフティング
ブリッジ
ローリング
スローイン
ヘディング
ロング
パスコン
3対1
4対2
クロスからダイビングx3
8対6
シャトラン
ケツジャン
私は中学校の頃からサッカーでもフットサルでも日本一を目標に活動しているチームでプレーしていました。中学校時代ではその夢を実現することはできず高校では絶対に日本一を取りたいと思い、帝京長岡が1番日本一を取れそうと感じたので帝京長岡に入学しました。帝京長岡を知ったきっかけは中学校時代、2人の先輩が帝京長岡の体験に行くって言ってるのを聞き、自分も気になって調べ始めたのがきっかけです。体験から帰ってきた先輩に話を聞いたところめっちゃ楽しいしみんなめっちゃ上手かったし何より監督と選手の距離感がめっちゃ近くて良かったって言っていて来年は体験に参加しようと決めていました。3年生になり実際に参加したらほんとに言ってた通りで2人の先輩が行ったのもあり帝京長岡に入学したいって気持ちが強くなり帝京長岡に決めました。
1年生の時は自分に自信がなくてミスしたらどうしようとか考えてしまって自分の思うようにプレーができなくて泣くことがたくさんありました。自分が泣いていたら声をかけてくれるのは先輩でその中でも中学時代からの先輩に声をかけてもらうとほんとにこの2人の先輩と日本一を取りたいと強く思えて、何回心が折れても立ち上がることができすごく成長ができた1年でした。
2年生の時は少しずつ試合にも絡めるようになってきて、インターハイ出場を決めるための北信越大会決勝で前半の最初の方から名前が呼ばれ、アップをしていたけどなかなか出場の機会が訪れなく後半の半分が過ぎもうそろ呼ばれるかもって息をあげていたら、後半からアップを始めたやえこが呼ばれ、もうこの試合は出る可能性の方が低いなと感じてすごく悔しかったのを覚えています。試合に勝ったのはすっごく嬉しかったけど悔しい気持ちもあって自分には何が足りないんだろうと、色々考えながら自主練する日を増やしていきました。その成果が現れたのかインターハイではフォワードとしてスタメンになる事ができ、一回戦を無事に突破し、二回戦で点数を決めて勝つ事ができました。三回戦の相手は大会連覇がかかっている相手で、中学時代一緒に日本一を目指していた先輩もいる高校だと知り絶対に勝ちたいと強い思いで三回戦に挑みました。アップが始まる前に2人の先輩がスタンドに手を振っていて誰に手振ってるのかなって見ると中学時代の監督が座っていて、わざわざ北海道まで見にきてくれていました。恥ずかしい姿は見せられないと思い試合に挑み、あまり自分のしたいプレーができず途中交代になってしまったけど、プレーであまり貢献できなかった分声でチームを引っ張り続けることはやめず、その時に出せる力を出し切る事ができたのは成長だし、いい姿を見せれたと思います。今振り返ると2年生の頃1番成長できたのはインターハイ前期間とインターハイ期間だと思います。
選手権で負けて新チームが始まった頃は最弱世代とも言われてたし、自分たちでも技術がないのはわかっていたのですごく不安でやっていけるかなって思いが強かったです。新チームになってキャプテンがさやかになり私は副キャプテンを任せてもらいました。
今まで以上にチームのことを考えて行動しないといけないしどうすればさやかのサポートになるかなど最初は全くわからなくてすごく大変だったのを覚えています。1年生が入部してすぐ九州遠征に行き柳ヶ浦高校との練習試合で接戦の末勝つ事ができその勢いのまま最後の伊勢遠征に挑もうという時にインフルエンザが流行してしまい辞退せざるおえなくなりました。インターハイ予選前はチームがあまりいい状況ではなく練習ができない日が続いて少し不安が残るまま試合になってしまったけどしっかり勝ち切ってインターハイ出場の切符を掴み取りました。北海道に行き調整期間で私は足を痛めてしまい100でプレーができず一回戦で負けてしまい情けない形でインターハイが一瞬で終わってしまいました。その後の強化合宿で私は怪我人をしてみんなは足が痛くても、足が重くても、必死に我武者羅にバカになって走ってるのに自分は何もできず、自分が試合に出て負けたのにその本人が何もしてないことにすごく情けなさを感じました。そこからたくさん公式戦があった中で全然上手くいかず月日だけが経ってたように感じます。選手権の県決勝の2週間前に足を怪我してしまいまた大事な期間にトレーニングに参加できず1週間前にはインフルエンザが急に増えさらに試練が与えられました。全員で合わせてトレーニングできたのは選手権1日前です。それまでも各自走ったり、練習場所を離して練習したりできることはやりました。でもみんなは、逆にこういう時の方がいけるよ!とか今までやってきたから負けるわけがない!とかずっと前向きでいてみんなほんとにすごいなと感じました。選手権県決勝当日緊張はしないけどなんかするかんじがあって試合が始まったらあっという間に時間が経って気づいたら前半が終わってて後半が始まって気づいたら残り3分で、残り3分って聞いた時からの攻撃は点数を決めれる気しかしなくて、でも決め切る事ができなくて長い笛が鳴ったのがすごく印象に残ってます。そこで高校でのサッカー生活が終わりました。
試合当日は中学時代の先輩の1人は会場にまで見に来てくれていて、もう1人の先輩はベオライブでずっと見てくれていてラインで「3年間お疲れ様!」と言ってくれました。
入学する前から卒業してからも変わらず接してくれて、私にとって心の支えとなってくれました。こんな先輩たちに囲まれて私はほんとに恵まれているなと思いました。
このブログが最後のブログになります。今日のブログは1年生から3年生までの私の高校サッカーを簡単にまとめてみました。今振り返ると、長いようで短い、短いようで長い高校サッカーだったなと思います。最初はこの学年でやっていけるかなって不安だったけど最後はこの学年じゃないとやっていけなかったなって思えるまで成長して全員が目の色変えて頑張った結果だと思っています。最後選手権にはいけなかったけど凄く成長ができた3年間でした。
3年生はこれからの姿が本当の姿だと思うから今まで以上に私生活を良くして1.2年生のお手本となるように頑張ろうね!
1.2年生には1日1日を大切にして、練習できる事が当たり前だと思わないで日々感謝して生活していってほしいと思います。
松野先生、まなさん、だいさん、組長、吉田さん、かけるさん3年間ありがとうございました!帝京長岡に来てたくさん成長することが出来ました。大学でもサッカーを続けるので引き続き遠くから応援よろしくお願いします!
3年 三上亜音
私は中学校の頃からサッカーでもフットサルでも日本一を目標に活動しているチームでプレーしていました。中学校時代ではその夢を実現することはできず高校では絶対に日本一を取りたいと思い、帝京長岡が1番日本一を取れそうと感じたので帝京長岡に入学しました。帝京長岡を知ったきっかけは中学校時代、2人の先輩が帝京長岡の体験に行くって言ってるのを聞き、自分も気になって調べ始めたのがきっかけです。体験から帰ってきた先輩に話を聞いたところめっちゃ楽しいしみんなめっちゃ上手かったし何より監督と選手の距離感がめっちゃ近くて良かったって言っていて来年は体験に参加しようと決めていました。3年生になり実際に参加したらほんとに言ってた通りで2人の先輩が行ったのもあり帝京長岡に入学したいって気持ちが強くなり帝京長岡に決めました。
1年生の時は自分に自信がなくてミスしたらどうしようとか考えてしまって自分の思うようにプレーができなくて泣くことがたくさんありました。自分が泣いていたら声をかけてくれるのは先輩でその中でも中学時代からの先輩に声をかけてもらうとほんとにこの2人の先輩と日本一を取りたいと強く思えて、何回心が折れても立ち上がることができすごく成長ができた1年でした。
2年生の時は少しずつ試合にも絡めるようになってきて、インターハイ出場を決めるための北信越大会決勝で前半の最初の方から名前が呼ばれ、アップをしていたけどなかなか出場の機会が訪れなく後半の半分が過ぎもうそろ呼ばれるかもって息をあげていたら、後半からアップを始めたやえこが呼ばれ、もうこの試合は出る可能性の方が低いなと感じてすごく悔しかったのを覚えています。試合に勝ったのはすっごく嬉しかったけど悔しい気持ちもあって自分には何が足りないんだろうと、色々考えながら自主練する日を増やしていきました。その成果が現れたのかインターハイではフォワードとしてスタメンになる事ができ、一回戦を無事に突破し、二回戦で点数を決めて勝つ事ができました。三回戦の相手は大会連覇がかかっている相手で、中学時代一緒に日本一を目指していた先輩もいる高校だと知り絶対に勝ちたいと強い思いで三回戦に挑みました。アップが始まる前に2人の先輩がスタンドに手を振っていて誰に手振ってるのかなって見ると中学時代の監督が座っていて、わざわざ北海道まで見にきてくれていました。恥ずかしい姿は見せられないと思い試合に挑み、あまり自分のしたいプレーができず途中交代になってしまったけど、プレーであまり貢献できなかった分声でチームを引っ張り続けることはやめず、その時に出せる力を出し切る事ができたのは成長だし、いい姿を見せれたと思います。今振り返ると2年生の頃1番成長できたのはインターハイ前期間とインターハイ期間だと思います。
選手権で負けて新チームが始まった頃は最弱世代とも言われてたし、自分たちでも技術がないのはわかっていたのですごく不安でやっていけるかなって思いが強かったです。新チームになってキャプテンがさやかになり私は副キャプテンを任せてもらいました。
今まで以上にチームのことを考えて行動しないといけないしどうすればさやかのサポートになるかなど最初は全くわからなくてすごく大変だったのを覚えています。1年生が入部してすぐ九州遠征に行き柳ヶ浦高校との練習試合で接戦の末勝つ事ができその勢いのまま最後の伊勢遠征に挑もうという時にインフルエンザが流行してしまい辞退せざるおえなくなりました。インターハイ予選前はチームがあまりいい状況ではなく練習ができない日が続いて少し不安が残るまま試合になってしまったけどしっかり勝ち切ってインターハイ出場の切符を掴み取りました。北海道に行き調整期間で私は足を痛めてしまい100でプレーができず一回戦で負けてしまい情けない形でインターハイが一瞬で終わってしまいました。その後の強化合宿で私は怪我人をしてみんなは足が痛くても、足が重くても、必死に我武者羅にバカになって走ってるのに自分は何もできず、自分が試合に出て負けたのにその本人が何もしてないことにすごく情けなさを感じました。そこからたくさん公式戦があった中で全然上手くいかず月日だけが経ってたように感じます。選手権の県決勝の2週間前に足を怪我してしまいまた大事な期間にトレーニングに参加できず1週間前にはインフルエンザが急に増えさらに試練が与えられました。全員で合わせてトレーニングできたのは選手権1日前です。それまでも各自走ったり、練習場所を離して練習したりできることはやりました。でもみんなは、逆にこういう時の方がいけるよ!とか今までやってきたから負けるわけがない!とかずっと前向きでいてみんなほんとにすごいなと感じました。選手権県決勝当日緊張はしないけどなんかするかんじがあって試合が始まったらあっという間に時間が経って気づいたら前半が終わってて後半が始まって気づいたら残り3分で、残り3分って聞いた時からの攻撃は点数を決めれる気しかしなくて、でも決め切る事ができなくて長い笛が鳴ったのがすごく印象に残ってます。そこで高校でのサッカー生活が終わりました。
試合当日は中学時代の先輩の1人は会場にまで見に来てくれていて、もう1人の先輩はベオライブでずっと見てくれていてラインで「3年間お疲れ様!」と言ってくれました。
入学する前から卒業してからも変わらず接してくれて、私にとって心の支えとなってくれました。こんな先輩たちに囲まれて私はほんとに恵まれているなと思いました。
このブログが最後のブログになります。今日のブログは1年生から3年生までの私の高校サッカーを簡単にまとめてみました。今振り返ると、長いようで短い、短いようで長い高校サッカーだったなと思います。最初はこの学年でやっていけるかなって不安だったけど最後はこの学年じゃないとやっていけなかったなって思えるまで成長して全員が目の色変えて頑張った結果だと思っています。最後選手権にはいけなかったけど凄く成長ができた3年間でした。
3年生はこれからの姿が本当の姿だと思うから今まで以上に私生活を良くして1.2年生のお手本となるように頑張ろうね!
1.2年生には1日1日を大切にして、練習できる事が当たり前だと思わないで日々感謝して生活していってほしいと思います。
松野先生、まなさん、だいさん、組長、吉田さん、かけるさん3年間ありがとうございました!帝京長岡に来てたくさん成長することが出来ました。大学でもサッカーを続けるので引き続き遠くから応援よろしくお願いします!
3年 三上亜音